同病相憐れむ | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る


ドメーヌ・ル・ブリソー ラ・ロング・ヴィーニュ VdTフランセーズ 2003
購入日    2006年4月
開栓日    2006年6月22日
購入先    Alcoholic Armadillo
インポーター コスモ・ジュン
購入価格   3200円

Alcoholic ArmadilloのHPによると、ブドウ品種はピノ・ドニスらしいが、ま、そんなことは
どうでもいいやと思わせるワインである。

畏友ooisotaroさんが、つい2日前にこのワインを開栓し、まるで中毒患者みたいなレポート
書いておられる。
以心伝心と言うべきか、そのレポートを読み、さらにあるあるのHPを見ると、
このワインがどんな代物か、飲む前にだいたい想像はつく。
そんなわたしも同病者?

で、飲みたいと思って開けてしまったところ、頭の中で描いた通りだったので、思わず苦笑。
あるのかないのか分からないような果実味、そして甘み。意識するとけっこう感じる酸味がある。
しかしそんな分析的な表現など、どうでもよろしい。

なぜか和食とも合って、知らず知らずのうちにスルスルスルと飲めてしまう。不思議だ。
ピノ・ノワールのグラン・クルを開けると、感性の尻が叩かれて疲れるが、
このワインでは決してそんなことはない。
感性に尻があるのか、というつっこみはしないように。

ooisotaro氏曰く、「ブラックカレー的常習性プチ幸せ日常ワイン」
ブラックカレーが何たるかわたしは知らないが、実にうまいことをおっしゃる。

常習になる日常ワインでは、ベルナール・グロのオート・コート・ド・ニュイや、ペロ・ミノの
ACブルゴーニュあたりを思い浮かべる。
しかしそれらは意外と神経質で、ちょっと飲み頃を過ぎるとバランスが崩れていて、
飲んでいて腹が立つ。

ブルゴーニュの頂点のワインを毎日日常的に開栓する飲み手がいるとしたら、
それは金があって感性を欠いた人物である。
ブルックナーの交響曲第8番を、毎日いろんな演奏で楽しんでいる、という人物と同じだ。
耳が遠いか、感性が鈍いのである。

だから、どんな飲み手にだって、日常のワインというのはあるわけで、それが何か、というのは
飲み手の個性を映すものであるだろう。

何故だか分からないがこのワインは、相当にワインを飲み慣れた人間をも黙らせるだけの
説得力があると思う。
逆に、最大公約数的ワインを好む飲み手には、思い切り受けないワインであることも間違いない。

凡庸な演奏家が奏でたブラームスのシンフォニーなど、聴くだけ時間の無駄だ、と思っているわたしは、
くだらないチリワインや、平凡なボルドーなど飲みたくもない。
ならば、このワインはどんな音楽を連想させるのだろう?

思い浮かばない。
マルカントワーヌ・シャルパンティエのクリスマス・オラトリオ、コレルリの合奏協奏曲・・・・
ちょっと違うなあ、もっと新しい時代かなあ。
シューベルトの室内楽にそんなイメージのがあったかなあ・・・
俗っぽいが、マーラーの交響曲第5番のアダージョなんか、どうだろうか。

気がつけば1本空になっている。あるあるでももう売り切れだ。
実に罪なワインではある。

コルクも美味しい。