新・しみつの京都 甘味処編・・その3「北野天満宮・澤屋の粟餅」 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

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今宮神社の2軒のあぶり餅を食したのち、神社の前でやって来たタクシーを捕まえて

北野天満宮に向かう。

早起きして甘いものばかり食べているので、まだ11時前だが蕎麦を食べたくなった。

 

久々に三条の河道屋で辛味大根が乗った蕎麦を食べたいなと思ったのだが、

今宮神社から一旦三条まで下がるのは遠すぎる。

そこで上七軒にある「夢庵」という蕎麦屋さんで粟餅前の昼食を摂ることにした。

店の前でタクシーを降りて、友人は茶そばの定食、わたしはにしんそばを注文した。

 

このチョイスはやや失敗だった。蕎麦は美味しいのだが、にしんが甘い!

甘味処ツアーの行程で、甘いにしんが入った蕎麦を注文したのはドジだったが、

友人は美味しい茶そばを食べられたと喜んでいた。

 

快晴の北野天満宮

 

粟餅処 澤屋

 

蕎麦屋さんを出て、北野天満宮を参拝したのち、門前の澤屋に向かう。

丁度12時だったが、店の前には10人くらいの列ができていて、入店までに20分くらい待った。

 

粟餅 あんこ3個・きな粉2個の定番の粟餅

 

あんこ2個・きな粉3個とお願いしたが、店の勘違いで定番の3個・2個になったが、

土産に持ち帰ったのはあんこ2個・きな粉3個にしてもらった。

 

まあそれは良いとして、相変わらずとても美味しい。

50年以上前から、京都に行って時間がある限り、ここの粟餅を食べて帰るようにしている。

粟餅は秒単位で硬くなるので、本来は店で食べるのがベストではあるが、

持ち帰ったら軽くレンジで温めると、当日中なら美味しく食べられる。

 

わたしの高校の母校は昔から京大志向で、同期生の多くは京大に進学した。

父親が京大出身であり、わたしも京大に進学することを夢見ていたが、

入学したのは自宅から近い阪大であった。

 

下町風で味があるが何となく貧乏くさい(失礼)石橋で教養部の2年間過ごしたが、

古都京都に下宿して大学生活を送る同期生が羨ましくて仕方がなかった。

 

大学生になって間もない日曜日、1人でふらりと京都に出かけ、鷹峯の光悦寺などを訪問した。

帰りのバスの中で、後に座ったおばさん2人が「北野天満宮の粟餅は美味しい」と

話しているのを聞いたのが、この粟餅を知るきっかけだった。

 

これは食べずにおられない。

そう思ってその足でバスを乗り継いで澤屋まで行ったが、すでに午後3時を過ぎており、

売り切れになっていた。

 

食べたくて食べたくて仕方がなかったが、こればかりはどうしようもない。

以来50年、わたしが澤屋の粟餅に執着心を持ち続けているのは、

この悔しい体験が出発点になっている。

 

やむを得ないので、京都から豊中の自宅(当時)に帰るのに、わざわざ十三で下車して、

みたらし団子で有名な「喜八州総本舗」の安倍川餅を買って帰った(現在では土日限定らしい)。

それ以来、京都と言えば「澤屋の粟餅」が定番になっている。

 

ちなみに今回の京都スイーツツアーに同行した友人も阪大出身で、

海外勤務が長く京都のことはほとんど知らない。

今になって思うが、京大に進学した友人もさほど京都のことは知らないようだ。

うちの娘も息子も京都の大学に進学して5年間下宿していたが、五十歩百歩だ。

 

粟餅を堪能したあと、鳥居の東側の蔵を借りて営業しているポルトガル菓子店

「カステラ・ド・パウロ」に立ち寄った。

 

友人が手土産に買ってくれた ベイラ リトラル地方のバォンデロー 中はねっとり

 

店の前のベンチで待っていたら、楚々とした芸妓さんが歩いてきた。

風情があるなあと眺めていたら、知り合いの勝彩(かつさ)さんであった。

 

持ち帰った粟餅 4:44経過後

 

新・しみつの京都 甘味処編・・その4「・・・」に続く